第三回:自己紹介③

最優秀に輝いた帯広営業所をあっという間に崩壊させた私ですが、ボロボロに崩壊させてようやく1人では無理なことを学びます(笑)

会社からは利益や生産性というところを求められていましたが、私は「崩れない体制」ということを重視して事業者の立て直しを図りました。

つまり、「人を採用すること」と「人材を辞めさせない」ということだけを考えて、1年間を過ごしていくわけです。

パッと見の営業所の成績は、利益率もそこまで良くないし、新人もたくさん入れているので余り生産性が高くない状態が1年間続きました。

いわゆる「パッといない営業所」という位置づけですね。

しかし、「新人の育成」や「人を辞めさせないこと」に特化した運営は、翌年以降に生きてきます。

仕事ができる人材が育ってくるわけですから、翌年以降は私が現場にでなくても問題なく仕事が回っていくわけです。

同時に責任者も育ってきたので、自立した営業所になっているという経験をしました。

やっと責任者っぽい仕事ができたというわけです(笑)

帯広営業所というのは規模も大きかったですし、特殊な位置づけでした。

数ある事業所の中でも「難しい事業所」と言われていて、この後も長らく運営を続けることになりました。

そして、29歳になったタイミングで会社を去る決断をします。

半年以上前に伝えて、私がいなくても問題なく運営できるように人を増やして、責任者を育てて退職します。

好きなお仕事でしたし、いろんな経験をさせて成長させて頂いた7年間ではありましたが、私の中の目標が「営業所長になる」だったんです。

入社3年目で北見の営業所長になった時点ですでに目標は達成してしまっていたので、モチベーションが上がることがなくなったというのが大きな理由です。

この時には帯広で出会った妻と子どもがいたので、帯広で転職することにしました。

転職活動は、エイジス北海道時代に事業所に出入りしていたマイナビやリクナビなどの採用系媒体の営業マンの方に声をかけました。

仲良くなった営業マンの方に「どこかいい会社ない?」って言って(笑)

そしたら、良い会社を紹介してくれたので、そのままその会社に入社しました。

今まで少なからず人材採用や管理に携わってきた経験をしてきたので、グループ4社の採用担当を兼務しながら、社内ベンチャーのような位置づけで「採用に使えるインタビュー動画」を売る部署の営業マンになりました。

これがまた全然売れていない部署でなかなか厳しいということもあって、半年ほどで3人いた営業マンのうち2人がいなくなり、私1人になります。

なんとか1人で頑張らなきゃいけない状況であるものの、これまで営業に携わってなかったので、必死に勉強して営業活動に活かしていきました。

この頃やっていたのは、テレアポ、メールやお問い合わせフォームへのアプローチ…、お手紙も書きましたね。

その後にまた電話をかけたりしながら、なんとか打ち合わせを取り付けて…というのをやっていたんですが、私1人では効率が悪くて…。

もっと効率よく営業できる場がないかなとSNSを駆使してやってみました。

これが大当たり!!

SNSと動画の相性が非常に良いというのもあって、ほとんど売れていなかった動画がそこそこ売れるようになりました。

私が営業しはじめたときは、月100万弱の売上しかなかったのですが、最終的にはなんと、800万円を越える売上になりました。

会社としてもある程度人を増やしてやっていこうという方向性になり、私の役目は終えたのかなと思いまして。

1年9ヶ月所属した会社を退職して、独立の道を選ぶことになります。

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